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2018/12
17:27
引きこもりの原因(要因)について
あか
初めまして。初めて投稿させていただきます、あかと申します。
私は20代の男性ですが、容姿のことについて悩み、それが原因で引きこもりを経験しました。現在は大学に通えていますが、自分の外見に自信が無く、人との交流はあまりありません。一応、大学に通うという形で社会とのつながりを保ってはいますが、心の内ははいまだ「引きこもり」という感が抜けません。
そこで皆さんにお聞きしたいのですが、容姿についての悩みをきっかけに引きこもるのは、異常で「甘え」に近いものなのでしょうか。というのも、引きこもる人の多くが、つらいいじめにあったり、大きな挫折を味わっている印象があるからです。そのような辛い体験にくらべれば、容姿についての悩みなど些末なものだと言われても、仕方がないようにも思いますが、皆さんはどのように思われますか。
私は、引きこもっていた時、以下のようなことを考えていました。
容姿の優れた人は、それだけで人間関係において信頼されやすく、また好感を抱かれやすいです。また、恋愛においてもパートナーを選択できる幅が広く、様々な出会いを経験した上で最良の相手を選ぶことができます。
これにたいして、容姿の優れない人は、その差を圧倒的な努力で埋めなければいけません。くわえて 、彼らは交友関係の広さや 恋愛において、容姿の優れた人に勝利することはほとんどありません 。このように、容姿の優れない人は、他者に関心を持って貰うために努力することを要求される一方で、個人的な人間関係において様々な挫折感を味あわなければなりません。
学歴や貯蓄、体力などはある程度努力で改善できますが、容姿に関してはほとんどそのような方策がないと思います。「外見で人を判断してはいけない」という建前がありますが、誰でも友達や性的なパートナーには容姿のいい人を選ぼうとしますよね?外見が優れないというただそれだけで、人から低い評価を下されることはおかしいと思います。
「容姿が悪いならば、その分努力すればいい」 ということを言う人もおられますが、それについても疑問がぬぐえません。劣等感をずっと抱きながら、我慢し努力する人生。そんな人生が幸せだと言えるでしょうか?本当のことを言えば、皆人を愛し、そして愛されたいと願っているのではないでしょうか。ただ生きているだけなのに、容姿が原因で蔑まれたり努力しなければいけないのはおかしいと思います。